板橋政経塾

第1回板橋政経塾に参加してきました。
塾長は 友人 がやっています。

記念すべき1回目の講師は、山田宏杉並区長。

「杉並区を日本のモデルに」

こんな志をもって組長に望んでいます。
現在3期11年目。

一番の功績は、役所の職員数を4,000名→3,000名にしたこと。
これで固定費の割合が95%→75%まで削減。
10%分を借金返済に充て、あと3年で無借金経営の自治体になるとのこと。
借金返済後は、区民税を下げ、減税自治体の実現を目指しています。

幸せは自助から生まれる。
そんな思いで、改革を進めてきています。
定額給付金は杉並区民に育ってきた自助の心を退化させるだけ。

行政の長としての信念と覚悟を感じるお話でした。

実は2000年の5月に 例会 でご一緒させていただいたことがあります。
杉並区も山田区長でだいぶ変わるだろう。
そんなことを感じたことを思い出しました。
今日のお話を伺って、
10年間の杉並区における実践で山田さんの思いが一段と強まったと感じました。

長としての覚悟

この大切さを感じた政経塾でした。

レモネード・スタンド

今月最後の日曜日。
こんな催しが福岡で開催されます。

詳細は こちら を

福岡にお住まいの方。是非立ち寄ってみて下さい。
私も8/29(土)の夕方から福岡に行くスケジュールなので、顔を出す予定です。

当初の目的は、 こちら のモデルハウスを見学すること。

日曜日、二股かける予定です。

ひどい顔

20年振りくらいでしょうか?
日焼けした顔の皮が剥けはじめています。
ここ数日お会いする方には、ひどい顔をお見せすることになります。
ご容赦下さい。

*昨晩、娘たちからは「眉毛が2列ある」と言われました

アクティビティ

activity 活動・行動

後輩からの依頼があり、ある方に講演をお願いする機会があった。
既に後輩達は正式なルートでの依頼を済ませており、
ご本人と会う機会がある私に、最後の一押しをお願いされた形だ。

「単なる講演はお受けしていない」

「講演を受けるかどうかの判断基準はアクティビティに繋がるかどうかだ」

考える、共感することは大切だが、それが行動に繋がらなければ何も起こらない。
後輩のおかげで自らを振り返る良い機会になった。

今日は公示日。
アクティビティを期待したい。

浅間山がきれいでした

一昨年に続き、2度目のゴルフ観戦
コースの脇にこんな場所もあります。
峠の釜飯や焼きそば、ビールなども販売しています。
家族連れで来ている方も多く見られました。

ギャラリーにとっては少し風もあって気持ちの良い天候でしたが、
プレーヤーには悩ましい風だったようです。

今回は、米ツアーで優勝したばかりの、宮里藍さんの出場でギャラリーも多かったようです。

出場選手のティーショットの様子を見ていて感じたことは
 ・利き手と反対の素振りをする(まるで左利きのようにきれいなスイングです)
 ・ボールをセットして、後方より打つ方向を確認するとそのままアドレスに入る
   (素振りはその前に)
年にお付き合い程度で数回しかやらない私にはあまり関係のないことかもしれませんが・・・
次回真似してみたいと思います(笑)。

次回、幹線の際は、オペラグラス(双眼鏡)を持参したいと思います。
というのも、グリーン脇で見ていると、遠くから打ってくる選手が誰なのかよく判りません。
近くで見たときにウェアの色を確認し、メモすることで確認ができるようになりました。
競馬のジョッキーのように、スタート時にウェアの色をチェックし、
ギャラリーに判るようにしてくれると良いですね。

また、次のホールへの移動の際に確認下のですが、
上田桃子さん三塚優子さんのマーカーはおそらくデコってました。

初日ということからか、楽しい雰囲気の中で競技しているなと感じて帰ってきました。
 *実際にはそんなこともないんでしょうが・・・

大山捨松さん

久野明子さんの講演会に参加しました。

日本人初の女性海外留学生の一人、大山捨松さんのひ孫さんです。

政府主導による10年間の官費留学。
当時、国費とはいえ、女性が海外に行くことには抵抗感が強かった日本。
公募してもほとんど集まらなかったそうです。
そんな中、5名の女性(といっても9才から16才)が参加。
メンバーの特徴として
 ①親族に海外へ行った経験のある
 ②いつかは薩長を見返そうと考えている
そんな共通点が見られたそうです。

年長のふたりはアメリカに馴染むことができず半年ほどで帰国。

残ったのが津田うめさん瓜生繁子さん、そして大山捨松さんだったそうです。

ちなみに捨松という名前は、渡米の際につけられたそうです。
10年アメリカに行くということは捨てたも同然で送り出したといことと
それでも10年後の帰国を待っている そんな二つの思いが込められているそうです。

アメリカのバッサー大学卒業式に際しては、
卒業生総代の一人に選ばれ、
卒業論文「英国の対日外交政策」をもとにした講演を行ったそうです。

お国のために役に立つ そんな思いを抱いて帰国した捨松さん。
しかし実際には女性が国のために役立つ仕事は有りませんでした。

いろいろ悩んだあげく、結婚しなければ女性はお国のために働くことはできない。
そう意を決して、公爵の大山巌氏と結婚。
その後、鹿鳴館時代に、西洋の文化に慣れ親しんだ捨松さんは、積極的に参加。
鹿鳴館の花とまでいわれるようになりました。
本人としては、女性が社会に出るチャンスととらえ
自ら先頭に立って、奥様たちを社交の場に連れ出す役割を果たしたとのこと。

世の中のために生きる、女性が活躍できる社会にするために生きる。

個と公のバランスが崩れてしまっている現代。
とても考えさせられた講演でした。